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image : Photo Depot
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右はデビューした時のカラーリングです. イリノイスセントラル系でオレンジとブラウンをシンボルとしているのは,客車や機関車に通じ,左はリフォームした後のカラーリンクです. リフォームはMK(モリソン&ヌードセン)が落札しましたが,途中で会社が破綻し,長期間されましたので,混織編成は数年間続きました.
余談ですがここでMK鉄道部門について少々. MK社は廃車機関車の再生など粗っぽい仕事は得意でしたが,新車の製造経験はほぼありませんでした. オールステンレスのシカゴCTA3400やメトロノースM6形電車は東急車輛ほか,アムトラックのカリフォルニアンカーは(たしか)アルストムと競り合った後安値で落札し,ボディは利益を出しにくい外注で調達しました. M6と3400のボディは競りあったブラジルのマフェルサ社(Buddのファミリー会社)やカリフォルニアンカーはポルトガルのソレファメ社(同じくBuddのファミリー会社)から調達しましたが,未経験の電車の電装にてこずって遅延をだしました. とくにM6形交直流電車は直流用と交流用の制御機をダブル搭載した1M方式の魔の3両ユニットです. この系列初代のM2形がデビューした1970年代はまだ国内メーカーが複数存在しましたが,唯一のオールステンレス車メーカーBuddは資金的に不調で,電装品を担当したGEが入札ならびに契約を代行しました. その結果M6形は,3両それぞれに制御機を2基ずつ搭載した理解不能なシステムで,GEが電装品を無理に売りつけたと言われています. 一方MTAは標準化を狙い,続くM4とM6もこのシステムを踏襲させました. M6は,もともとMK社の手におえるものではなかったのです. 後日談ですがMTAは,M2〜M6形電車1両メンテナンスするのは機関車1両と同じ手間ひまかかると電車嫌いになり,その後10年ほどはプッシュプルの客車ばかり導入することとなります. MK魔の95年と言われたこの頃,新車を当てにしていた各鉄道は車両不足に陥り,大都市ニューヨークのグランドセントラル駅に機関車牽引でRDC改造の客車がやってきたり,ドッグノーズF3がメトロノースを闊歩し,鉄チャン的には楽しい時代でした. 回り道しましたが,MK社長はアムトラックに何度も呼び出され,契約に沿ったペナルティにより破綻となりました. そのアオリを喰ったのがハイライナーのリフォーム工事です. |
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